【北海道恵庭市白樺町にあった本間コレクションについて】


本間コレクションについて書かれたブログがありますので、(株)本間武男からもご説明させていただきます。

本間コレクションは画家本間武男が1988年に北海道恵庭市白樺町の市有地に作った文化施設です。当初は仏像中心の博物館でしたが、4年後にはリニュアルオープンをし、大変珍しい隕石やアンモナイト、たくさんの仮面や彫刻、蝶の標本、船や飛行機の模型、北海道の代表的な建築物の模型も展示されました。

また、当初の構想では本間コレクションの隣にアイヌ博物館も作る予定だったそうです。アイヌ博物館は構想だけで終わってしまいましたが、本間はいつでも手探りで自分に降り注ぐインスピレーションを形にしようと必死だったのではないか?と思います。


【始まりは善意から】


博物館「本間コレクション」の始まりは、当時、北海道苫小牧市に住んでいた画家本間武男が、ある発展途上国出身の男性と出会ったことがきっかけでした。その男性は「母国に小学校を建てたい」という夢を持っていました。

そこで、本間が男性へ母国に学校を建てるのに十分な寄付をしたところ、後日、お礼として数十体の仏像が送られてきました。

本間は心のよりどころとして仏画を描いており(※2)、途上国出身の男性は僧侶をしていたので、寄付のお礼として仏像が送られてきても不思議ではなかったかもしれません。

しかし、回数を重ねるごとに仏像の数がどんどん増えてしまい、本間は送られてきた仏像を保管する場所に困るようになってしまいました。お金の使われ方も曖昧です。

ですが、共通の知り合いがいたこともあって、受け取り拒否をすることもできず、処分することもできず、本間は「それならば」という気持ちで一大奮起し、恵庭市からの誘いを受けて「地域の住民やや自衛隊員が安らぎを感じ、観光資源にもなる場所を」という意気込みで、1988年に仏像彫刻博物館をオープンさせました。

こうした理由あったからだと思います。オープンにあたっては著名な文化人の方たちも協力をしてくれました。博物館についての新聞記事もたくさん残っていますので、当時は注目度が高かったのだと思います。

4年後には、株式会社を設立し、それまでのコンセプトだった「戦争と平和と仏教」の他にも、「生命の歴史と民族の文化」を発信する創造的なコレクションを多数加え、心機一転リニュアルオープンしました。(※3)

また、仏像彫刻博物館をオープンさせた1988年は新千歳空港が開港した年だったので、別棟を作り「歴史的な飛行機のミニチュア」を展示したり、「空のまち千歳」の礎となった飛行機の原寸大模型を作り新千歳空港ターミナルビルで公開したりもしました(※4)

ですが、最終的な展示品の総数が一万点近くにも上る博物館だったため、1. 管理が追い付かなかったこと、2.入館者が減ったこと、3.まちの開発事業の中止が相まって、オープンから十年余りで閉館しました。(※5)



 
※1
1980年頃に10ヶ月をかけて描いた「戦争と平和」の油絵(縦2m横40m)。本間は当時、「戦争の記憶が薄れていく中で、何かを残そうと思った。悲惨な場面はより写実的に描き、戦争の破壊から何を求めるのか、と問いかけたい。」と語っていました。



       
 ※2
仏像と画家

日本三大稲荷の一つ、岡山県にある神仏習合の最上稲荷に依頼されて書いた絵。中央には稲と鎌を持った最上位経王大菩薩、向かって右手には開祖報恩大師、左手には菩薩様を乗せていたという白狐が描かれています。

故郷である余市町のお寺に奉納した絵。左から漁業の安全と海洋資源の保護を願った「波切不動」、農業の発展を願った「明星観音」、国の平和を願った「瑞竜観音」。制作期間は10ヶ月。それぞれ縦2m横2m

昭和天皇の崩御を追悼し平成の飛躍を願って描いた掛け軸の記事。竜の上に聖観音が描かれたこの掛け軸は登別市で発見された4万年前の炭を使って描かれました。(縦1.4m横75㎝)



  ※3
1992年に文化施設をリニュアルした後の展示物。私は当時を知らないのですが、本間が方向転換をしようとしていたのがよくわかります。「戦争と平和」、「仏教にまつわる静かな死生観」は、まちの開発にあまり馴染まなかったのではないでしょうか?そこで本間は仏像の起源であり、異文化融合の象徴であるギリシャ風仏教美術(ガンダーラ美術)をシンボルとし、生命の誕生を感じる隕石や化石、魂の生まれ変わりの象徴である蝶の標本、ヒマラヤ少数民族の喜怒哀楽が凝縮された仮面等を多数コレクションしました。

本間には、周囲が考えも及ばないとてもダイナミックな構想や、「町や地域の人に喜ばれるものを作りたい」という気持ちがあったことは間違いないと思います。当時の日本は、リゾート開発や民間の活用、ふるさと創生が言われていたので、地域の文化人としてその役目を担おうとしたのではないでしょうか?
また、民族の文化やアジアの宗教、地球の歴史を感じるコレクションを通して、「人々の相互理解と融合による平和の創造」をメッセージしていたのだと思います。
 
アジア各地から収集した仏像や宗教、民族の彫刻  「魂の生まれ変わりの象徴」と言われるチョウの標本 学問、知恵、財産、芸術の女の神様弁財天 直径約1mのアンモナイト 
       
ヒマラヤ少数民族の仮面 子供も楽しめるように展示された恐竜(エドモントザウルス)  インド(カルカッタ)ヒンズー教のお祭りの山車飾り 敷地の一角にあった記念碑。
関係者の皆様へお礼申し上げます。




※4 
 1992年には千歳市が空の町として発展するきっかけになった「北海」を実物大で復元しました。「北海」は大正時代に千歳村の村民と在郷軍人が作った滑走路へ一番最初に着陸した飛行機で、鉄道の開通に合わせて行った観楓会のお礼に小樽新聞社が飛ばしました。復元された「北海」は新千歳空港ターミナルビルへ展示され、現在は別の場所にあります。

 上は明治末期に日本で初めて場周飛行した複葉機。下は世界初の大西洋無着陸飛行(NY-パリ間)に成功し、「翼よ、あれがパリの灯だ」という言葉が有名なリンドバーグのスピリット・オブ・セントルイス号。他にもライト兄弟やレオナルド・ダ・ヴィンチの飛行機がありました。

 「北海」は自費で制作しましたが、その後の13機は「ちとせ・大空の夢・アミュージアム」という企画として空港と一緒に制作しました。当時の新聞によると画家は「今では飛行機での移動が当たり前で、空に心を高ぶらせるということもなくなった。でも、ほんの100年前までは、夢のまた夢だった」「空へのあこがれが生んだパイオニア精神、先駆者精神を知って欲しい」と語っています。
 
 

 博物館の隣に、「北の空の飛行機たち棟」を作り、昭和初期に札幌-東京間を飛んだ旅客機第一号を1/10の大きさで復元し展示しました。他にも歴史的な飛行機や、三千三百年前に古代エジプト人が作ったグライダー、日本人で初めて空を飛んだと言われる浮田幸吉の「はばたき機」など15点と、始祖鳥の化石も復元して展示しました。

 世界の海で活躍した船46隻のミニチュアを制作し、自宅があった苫小牧市で展示会を開催しました。制作したのは、紀元前エジプトの「ファラオの船」、コロンブスがアメリカ大陸を発見した際の「サンタマリア」、日本を代表する「日本丸」などでした。

 1980年に制作した北海道鉄道100周年記念のシルクスクリーン版画(16色刷り)。絵には「札幌鉄道局」と「シャッターチャンスを待ち構える外国人技師」「SL義経号」が描かれていて、中央には「北海道鉄道唱歌」も記されています。



※5
閉館しそのままになってしまった本間コレクションの外観(2008年3月撮影)。
著作権の問題があったものについては当事者間で協議をし撤去しています。
(建物についてはその後まちが解体しました。

恵庭市の皆さんには大変お世話になりました。㈱本間武男から心よりお礼申し上げます。

管理人 ㈱本間武男 真藤



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