■□絵のため禁酒説く
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 人は人生の転機に重要な出会いがあるものらしい。宮崎信吉先生がそうだったように、網走管内遠軽町で巡り合った切替弘雄先生との出会いは、今日の私にとって決定的のことだった。



 二十代を過ぎて、まだ芽が出ないまま北海道をさすらっていた売れない絵かきの私は、素面(しらふ)でいるのが恐ろしくて酒を飲み始めた。次第に焦りと、自分の才能への疑いが気持ちをさいなみ始める。宮崎先生のあの描写、斉藤先生のあの流れるような線の美しさ。もうかなわないと思う。諦めようと思う。しかし何かが私に、修羅の道を歩ませるのである。酒量は毎日我慢しても焼酎(しょうちゅう)二升を空けていた。



 私の場合は度が過ぎていたようだ。



 アルコール依存症とあっさり言うが、酔っていないときの何とも言いがたいあの不安感たるやない。それが、ただ一口酒が喉を通過しただけですべてが解消する。飲んで数分というなら分かるが、一口で濁った頭にも天才のひらめきを感じる。



 切替先生は医者というより芸術家であった。私に胃がどうの肝臓がどうのなど一切言わず「絵のため、才能のために酒をやめよ」と説いた。その後、遠軽を離れて千葉県で暮しておられたが、ようやくひとかどの画家として知られるようになった私はフランスへ旅立つ前に先生を訪ねた。「おれは信じていたよ」と、先生は目を光らせながら本当に喜んでくれた。信義の大切さを教えてもらった人生の大恩人である。



 切替先生との出会いは大きかった。



 私は先生にこんな手紙をもらった。





 君の青春の遍歴を、私は知らない。ただ自分の青春を、がむしゃらに突進したであろうことは、君の雰囲気からは想像し得る。



 君は人生の出発点に際して、夢と希望を高らかに掲げて歩み出したに違いない。昭和二十年代、戦後の混乱の場が、君の青春の舞台となった。



 しかし、初めて君が私の前に姿を現した場所は、北国の小さな町の白い壁の病院の一室であった。青春の栄光が無残に崩れて、君は一人のアルコール中毒患者として、私の前にあった。君の並々ならぬ力量と素質を感じ取った私は、次のような詩を書き留めて、君に送ったことを忘れない。昭和三十五年の初冬、雪が根雪になる晩であった。




灰色の空より
陽の届かぬ大地に根雪となる粉雪降りしきり
酒神に召されし若き魂の嘆きよ 



   略



君はその力の故に酒を呑んだ



君はその愛の故に酒を呑んだ



君はその情熱の故に酒を呑んだ 



   略



白い壁の病院で、
若い医者が、君を笑ってこう言った。



「酒神が、君をとらえて離さない。
君の力と愛と自由と雄叫びが
酒神に呑み捧げられた時、
君の力と愛と情熱と自由の雄叫びは
酒神の餌食となって、
君はも抜けの殻となる。
木乃伊(みいら)になる」



医者は嘲笑って白い壁の病室から、
灰色の夜を眺めた雪は
根雪になるだろう。



灰色の空より
太陽のわずかな光洩れて根雪となりし 
朝の明るさ白壁の病舎の一隅に
新生の息吹を聞きぬ





 私はアル中から立ち直った。思えば、小樽の丸井の宣伝部以来、十七年間も酔っ払っていたのである。悪夢のような眠りから覚めて、なんと明るい朝だろう。





 酔いからさめたら札幌が懐かしい。久しぶりに小樽へ帰ってみたら、私が死んだことになっていたのには驚いた。「本間はいい男であった」と、みんなが褒めていたそうだが、当の本人が生きているとなると、話は別だ。幽霊ではないが、「酒飲みの本間」は一度死んだことにしてもらって、生まれ変わったつもりで絵の制作に取り組んだ。



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