■□東京へ心揺れ動く
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 しばらくのあいだ、絵を描きながら小樽の丸井今井の宣伝部で働いた。当時、昭和二十八・九年ごろ、他にも二・三の委託の仕事をしていた。忙しい毎日であった、宣伝の仕事は次から次へ舞い込んでくる。それを夢中で仕上げる。若さに任せてのこと、勢いもあった。



 仲間と酒もよく飲み歩いた。夕方五時頃になると何となく四、五人集まってくる。絵描き、デザイナー、たまに詩人などもいる。小樽に「親不孝通り」というのがあった。うまい名前をつけたものである。毎日のようにその通りを、親不孝者を連れて飲んで歩いた。



 しかしいくら酔って帰っても仕事をしなければならない。あのころ写植というものがなく、ニミリ位のゴシック体文字まできれいにペンで書いた。写真製版なので、書いた文字がそのまま図柄になる。立って歩けないくらい酔っていても仕事はできている。まさに神業であった。



 そんな毎日が続いたが、ふと我に返るときがある。みんながネクタイをしてきちんと仕事をしている。その中で自分一人が酒びたりでいいはずがない。私はだまって丸井を辞めて東京へ行こうとした。昭和二十九年(一九五四)、九月のことだった。




 列車に乗り函館に着いた。台風が近づいていた。連絡船まで時間がある。酔っていても不安だったのだろう、街の手相に見てもらった。一人では信じられず三人に見てもらった。皆同じことを言う。東京などへ行かず、まっすぐ帰れという。最後に駅前のちょうちんで、おかみさんが酒を注ぎながら帰るよう熱心に勧める。これで揺れ動いていた私の腹が決まった。そのまま汽車に乗って家まで引き返した。駅についたその足で姉の家に行く。風雨はますます激しく朝までガラスを叩いていた。その夜、函館を出た青函連絡船、洞爺丸が沈んだ。



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