■□密かに師越える決意
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 大地とすっかり仲良しになり、その雄大なぬくもりに幸せを感じながら時のすぎるのは早かった。



 余市の家に帰った私に小樽からの使いが三度来ていた。水彩画・宮崎信吉先生からだという。あの感動的なリンゴの水彩画の作者である。もう迷うことはなかった。早速お伺いして教えを願った。宮崎先生は大変な喜びようで「潔が楽しみだな」と独り言のようにつぶやいた。その人が先生の弟、宮崎潔氏である。ディスプレー、グラフイックデザインの道内第一人者で、私はこの人にデザインを学び、写実の絵を宮崎先生に学ぶことになる。



 宮崎先生が透明水彩で描くその絵は、ものすごい速さで仕上がっていく。だいたい三十分か一時間。静物画なら、ちょっと薄暗い所なら本物とまず見分けが付かないくらいの出来であった。画面の中に完全に空気がある。私はもう宮崎芸術の真髄を極めようと毎夜一時か二時まで描いてみた。



 それは若く未熟な私には程遠く、まったく無理というものだった。しかし私はただ密かに、宮崎先生に挑戦していた。



 そのころ、宮崎先生の教えを受けて東京で版画を製作していた斉藤清氏が、サンパウロで開かれた国際展で最高賞を受賞した。日本人として初の快挙だった。その国際版画家・斉藤清氏が宮崎先生に報告に来られ、先生と酒を飲んでいたときのことだ。トイレに立った折り私に「本間というのはお前か、頑張れよ」と声をかけた。感激をしたが同時に、心の中でおれは必ずこの斉藤清を越えてみせる、と思った。いつか十勝で感じた大地のぬくもりも、あの平和な幸せも、もう心の中の片隅にも残っていなかった。



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