■□熱心に絵の道を勧める
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 私は昭和四年(一九二九年)に、日本海に面した後志の余市町で生まれ、育った。余市は北海道でも古くから発展してきた町です。開基百有余年を数え、先人が漁業、農業、文化の各面でこの地に優れた遺産と精神を残して来た。


 子供のころの思い出をたどってみると、四季は実にはっきりしている。春五月、リンゴとナシの花の白と薄いピンクで町はすっぽりと包まれる。自転車で走っても、どこまでもどこまでも霞(かすみ)のように果てしなく続いていた。


 リンゴの木に一センチくらいの実がつくと、町中の人が実を虫から守るために袋かけ作業に駆り出される。年中行事の一つ。リンゴのまち・余市は人々もまたリンゴをとても大切にしていた。


 やがて地面にイチゴが赤く色づき、サクランボが雨を気にしながら熟れていく。川で泳ぎ、ウグイを釣る。海に潜ってアワビやウニを採って食べる。 今日、飽食の時代と言うが、味はあのときの自然の恵みに勝るものはない。


 こんなおおらかな少年時代を過ごした私は、余市町立大川尋常高等小学校に入学し、担任の杉本善作先生(故人)と出会うことになった。先生は私に熱心に絵を描くように勧めてくれた。当時絵を描くことがあまり好きでなかった私は、いつも逃げ歩いていた。  


 職員室に入る廊下の壁に、先生のリンゴとニシンの油絵が飾ってあった。厚塗りの絵の具がどっしりとして不思議な実在感が迫って来る。絵は確かに先生の何かを訴えていた。美しく描くというのでもなく、何か青春のエネルギーのようなものが額縁の檻(おり)の中に閉じこめられているようで、前を通るときはいつも静粛にしていた。  


 その先生と三十数年後に余市町でお会いした。先生は涙を流して私が絵描きになったことを喜んでくれた。  「君は絵を描くために生まれてきたんだ」と言われた。先生の顔が青年のように若く見えた。








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