【回想録6】
  苫小牧との出会い



 私は鰊(ニシン)をよく描く。遠い思い出になるが庭先で煙を上げてジュー、ジューと焼ける春鰊の香りが今でも浮かぶ。余市の町じゅう鰊一色、海は白濁し、人々は走り回る。


   かつては、潮焼けした船頭やヤン衆の活気でにぎわった浜野番屋も、今は訪れる人影もなく、浜風と鰊雲の下で廃墟となっている。北海道を支えた鰊漁。消えた今、当時の豪快さ、素朴さが北海道から失われていくのは寂しい。なぜか幻の魚となった帰らぬ魚影を待ち続け、何年も春の海に立つ私もまた一人の漁夫なのかもしれない。


 話は前後するが、若いころ私は野球選手としてはちょっと鳴らしたものだった。昭和二十五年(一九五〇年)に苫小牧で国体軟式野球の道予選退会があった。後志代表でニッカウヰスキーが出場した。当時、ニッカのデザインを描いていた私が補強選手として投手で出場した。運動神経は抜群で力もあった。「大相撲に入っても必ず大関になれる」と口説かれたこともある。ニッカ創始者の故竹鶴政考社長もその一人で、「絵をやめてプロのスポーツ選手にならないか」と勧められた。


 ニッカのチームは(苫小牧の)駅前の表町にあった富士館に泊った。雨で一日試合が流れ仲間と街に出た。何と寂しい、静かな街であろうかと思った。

中略


結局私たちは王子に敗退した。


中略


これが私と苫小牧との最初の出会いである。その後しばらくして、私は長いこと道内をさすらうことになるのだが、しばしばあの時の静かな街・苫小牧を思い出していた。



 



  




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