【回想録10】
  海どのと船君


 
   海どのと船君


 わたくしの、いえ私たちの遠い親戚に‶海どの″というのがいます。

 実は私たち人間はそこから生まれたと聞きましたが、海どのは一見美しく、おとなしいものと見えますが、大変なウツ病で、ソウの時は私たちを浜辺にさそい、結構楽しく遊ばしてくれ、また漁どり(すけどり)もさせてくれます。

 ところがウツの時が来るとガラリ豹変して人間様なんか無論のこと、家や山も削り、荒らされ放題に狂ってどうすることも出来ません。

 そんな恐ろしい‶海どの″ですが、人は何年も懲りずに長い付き合いで、その上をすべる船というものをこしらえ、遠い国を旅していました。もちろん風だけが頼りです。

 さて(海どのと人間の)どちらがえらいのか決めかねていますが、その長い人間の叡智を知りたければ、ここに並んだ船の歴史を見てください。それでも分からなければ、創られた本間先生にお聞きなさい。




 船の好きな森繁久彌様からこんな詩をいただいた。四十六隻の帆船づくりの最中であった。私は一人宮本武蔵をやってきたが、変化の時代を生きるには柳生剣(※1)に切り替えようと考えていた。スタッフの団結を試みたのである。八ヶ月で全部完成させ、不景気の街にロマンと富と栄光を乗せて展示会を企画したのである。


 不眠不休の体制が始まった。

中略


八ヶ月後、堂々と船は完成した。素晴らしい出来であった。東京から帆船のモデラーが訪ねてきて、100点満点中95点以上とのこと。「制作に5年以上はかかったでしょう」と言われ本人の経験からの発言と思い「はい」と答えた。


 柳生、恐るべし。それから皆の生きざまが変わってきた。なんでもできる自信である。大発見は素朴なところから生まれてくるものだ。








 ※1柳生剣
宮本武蔵と同時代の武将で徳川家の兵法指南役、柳生むねのりが提唱した思想体系。
剣術中心の宮本武蔵「五輪書」に対して、柳生むねのりの「兵法家伝書」は精神論が中心。長い間門外不出とされていました。


  




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